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映画。本。音楽。旅。学生の”ざっくばらん”

学生の頭のメモ帳です。ふと浮かんだことを書いていきます。

ケルアック

 

最近、ジャック・ケルアックを読んでいる。

ケルアックといえば、まず「オンザロード」が有名な作品として挙がる

アメリカのビート文学の象徴のような小説家である。

 

正直オンザロードは、2012年あたりに映像化されたものが割と完成度が高く、

特にディーンに関しては自分の想像を具現化してくれたようなファンキーぶりで

その容姿から雰囲気までが観ていて感動を覚えた。

(内容の絞り方はやはり映画化という感じだが笑

 

まあ、このオンザロードに関しては言わずもがななのだが、

ケルアックでもうひとつ紹介したいのが「地下街の人びと」である。

 

この物語は、アメリカのサンフランシスコの地下街で破滅的、刹那的、叙述的ともいえる生活を送る人々を描きながら、主人公と黒人マードゥとの恋を綴るまさにビートニクといえる作品である。ここで描かれるシスコの地下街の人々は、ドラッグや酒、セックスに溺れる中で、人生とは何かなんて考えていない、ただ与えられた日々を過ごす。

 

しかし、ここで冒頭のあるセリフが印象的だった。

「地下街の人びとは口べただがもののわかった人たち、古臭い知性とは違った知性をもった人たち、とても知的でパウンドのことなら何でも知っているがそのことを鼻にかけたりまくしたてたりしないひとたち人たち、とても静かでキリスト教徒のような人たち」

 

このセリフはとてもクールだと思った。

別に破滅的に生きてるからと言って、頭が破滅しているわけじゃない

もしかしたら、全うに生きているつもりでも頭は破滅しているかもしれない。

 

地下街の人びとは確かに生きるレールからは逸れてしまった存在である。

でももしかしたら、レールなんてなくたって自分なりの感覚、知性を持っていて

それを別に他に主張しなくてもいい、自分の生き方を受け入れているから。

 

もしかしたら、この地下街の人々は地上という生きる上で当たり前の環境から逃れた

ある一種の存在かもしれない。

 

全うに見える道だけを選んで生きるよりはもしかしたら地下街の人々のように生きてみたら自分だけの感覚をつかめるかもしれない。

SNSで、価値観や生き方のサンプルを並べられ麻痺してしまう前に

一度、地下街、電波の届かない地下に行ってみるのも面白いかもしれない。

 

 

なんていう梅雨のある日の、ふと思ったこと。