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映画。本。音楽。旅。学生の”ざっくばらん”

学生の頭のメモ帳です。ふと浮かんだことを書いていきます。

2月22日 猫の日~猫という絶妙な存在~

2月22日は猫の日である。

 

これは、猫が好きあるいは猫を飼っている人ならきっと皆共有している、いわば天皇誕生日といっても過言ではない日ではないだろうか。(過言)

 

きっと夏目漱石だって、カートコーバンだって猫の日だけは筆もギターもおいていたに違いない。これは確信。

 

そうはいう自分も実家で猫を飼う、猫バカの一人だ。

うちの猫はメスの5歳になるミケで、顔はどちらかというと松雪泰子似の美人である。

(過言ではない)

 

まあうちの猫の自慢は今回は置いといて、猫の日にちなんで猫の存在についてふと考えたことを書こうと思う。

 

猫という生き物。または、存在はよくツンデレという言葉で知られる。

確かに、言葉のとおり猫は家族がそろって大人数で囲まれているとツンとし、家に自分と猫だけだったりすると途端にデレとなる。

大概の猫好きはこのギャップの虜になっている。それは間違いない。

 

ただ、猫という存在を少しだけ深く考えると、

実は猫という生き物はある種の絶妙な”存在感”のようなものを持ち合わせている、その”存在感”こそが猫の魅力なのではということが頭に浮かんだのである。

 

猫という生き物は、例えば家にいるときでも、外でみかける時でも存在自体は確かにそこにいる、勿論こちらから手を伸ばして触れ合うこともできるし、

別に触れ合わなくてもいい。そこにいるだけでも猫としての魅力がある。

 

家では、たとえばリビングや縁側で横になり、そのそばで猫がいること、

それだけで私たちは心が満たされる気がするし、猫はいるようでいないのだ。

外でも同じ猫を見かけて、最初は頭を撫でたりするものの、あとはその風景に猫が存在しているそれだけでその風景は完成される。

 

犬のように散歩をするわけでもなく、一緒に公園にでかけるでもない。それでも、お互いの生活に干渉しすぎない、かつお互いを満たしている。

猫が持つこの絶妙な存在感、いるようでいない安心感が自分は好きである。

 

そして、これからもこの存在に魅せられていくのだと感じる、ふとある猫の日だった。

 

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最後に。これがうちの松雪泰子である。

(過言ではない)